3.11に思う事
今日は、3月11日
2011年3月11日に東北地方 岩手 宮城 福島の大震災が起こった日になります。
いまだに避難所生活者38000人
行方不明の方2500人以上…
そして毎日、行方不明の奥様を探しに海に潜る方もいらっしゃいます。
お亡くなりになられた方にはご冥福をお祈りします。
震災当時の山形は、そこまで震災の影響はなく、普通に生活はできていましたが
- ガソリン
- 電気
- 食糧
流通がストップして震災当時は、物資とガソリンの確保をする程度であり大きな被害はありませんでした。
3.11から早11年が経ち、振り返ってみると、震災きっかけでご来店頂きたいお客様の事を思い出します。
震災から8年経ってから記事
- 建てたばかりの家が住めなって人
- 放射線が心配で被災してきた人
- うちが津波で流れてしまった人
震災後に全く家族との連絡が取れずにいたのがツィッターで友達から連絡があり家族の安否がわかった事
この辺りからsnsを使う人が【情報共有】するツールとして活用され始めてきたようにかんじます。
僕も、震災を機にツィッターを頻繁に活用したりするようにもなりました。
ガソリンを求めて、県を跨いで購入に行かれた方や金額が高くなっても確保に走る方そして、一番ガソリン問題をあまり心配しなくてよかったハイブリッド車
この頃からも【エコ】という言葉浸透してきたのかと思います。
山形では、これから不足する事態に備えて物資を確保に足を使っていました。
しかし、震災地に戻った方の話では、辺り一面が何もない状態で海が運んできたゴミで焚き火をしながら暖をとって生活をしていたそうです。
雪も降る時期だったのでかなり寒さは身に染みていたんだと思います。
その後、山形に帰省して僕サロンに来てお話をしてくれたんですが、毎日焚き火をしていたせいか、髪を洗ってもその匂いは消えなく
焚き火はその辺のゴミを燃やしていたのか、焦げくさい匂いがしました。
その時の写真を見せてもらいましたが、
海から家やコンテナが波にのって高台の道を登って二階建ての下のガレージに突っ込んできたらしいです。
家は破壊され、住むのも大変な場所でしばらくはキャンプ生活をしていたそうです。
震災によって出会えてた事や、自分ができる事は何かないのか?と思った事、
先日、母と話をしていたら、震災当時にご来店頂いていたお嬢さんからの手紙を見つけたと言われました。
そこには、
いまだにその手紙は大事にとっております。
僕は震災を通して、お客様とどうやって関わっていけるのか?
何を求めて何をしたら喜んでくれるのか?
本日3月11日は、美容をとおして、考える事が出来たきっかけになりました。
本当に震災がなければ出会えなかった出来事は、僕の財産で
今日という日を忘れないように震災が起きないように願うばかりです。
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